第九十一話 GPS

ヨット界にGPSが普及する事によって、ナビゲーションは実に簡単なりました。自船の位置は
一目瞭然、スイッチONで解る。灯台の位置もわかるし、艇速も、潮の流れも簡単に解る。
簡単に誰でもナビゲーションができるようななった事は、素晴らしい事です。

でも、何事も単純に良いと悪いで判別できるものでは無く、どこを見るかによって、立場、見方
によって異なってくる。便利になった事は事実であるが、逆に考えると、ヨットが何かの役に立つ
という何かの役目でも無い限り、便利さは必ずしも良い面だけとは限らない。ヨットが遊びである
以上、遊びは便利だからと言って、もっと面白くなるとは限らない。

昔のように海図を広げ、自船位置を出したり、進路を決めたり、そういう知的遊びはセーリングと
いうプロセスにおいて、プロセスの知的遊びを失わせる。これもひとつの見方でしょう。ただ、便利
さを反対しているわけでは無く、見方によっては遊びを無くすという見方もできるという事です。
そのおかげで、プロセスはもっと価値を下げ、目的地が重要視されるようになる。良いとか、悪い
とかでは無く。そうだという考え方の違いです。時代の流れですから、仕方ないとも言えます。

ヨットは自然に遊ぶという意義もあるし、また、知的に遊ぶ事もできる。ナビゲーションにおいて、
さほどの知的ゲーム性が無くなったなら、セーリングという点において、知的ゲームを楽しむという
方法がある。

知性は大人の遊びとしては極めて魅力的である。例えば、野球がただ投げて、打って、走って
という単純なゲームだけなら、それ程日本中に流行らなかったのではないかと思う。ピッチャー
は打者の癖や、前回の打席、ランナーや、心理的な作戦によって、投げ、また打者も同様に、ピッ
チャーの癖などを読み取る。これも極めて知性的な要素を含んでいるので、奥が深い。どんなゲーム
でも、奥が深い物、広がるもの、これらは人間が関わる以上、知性が伴う。単純なだけでは、人間
は満足できなくなる。テレビではいつの世もクイズ番組が放映されるのもその証拠ではないかと思う。

若い時は体力的な物、スピード、スリルだけでも楽しめるかもしれないが、年を重ねるに従って、知性
が伴う方がより面白いと思うようになる。ヨットをゲームとして楽しむ限り、知的要素を取り入れた方が
より大人を満足させる事になると思う。

風向に対するセールカーブはもちろん、進路の取り方は幾何学である。これはGPSでも解らない。あの
島を一回りしてくるならば、どこでタックするのが最も速いか、それには風がシフトして、潮の流れに影響
され、ヨットの性能も影響してくる。クルージングにおいて、そんな事を考える必要は無いが、レースでは
そういう事を楽しんでいる。レースで無くとも、デイセーリングにおいては、そういう知的遊びを自分で考え
ても良いのではないでしょうか。

どういう風に走らせか、ただ、漫然と帆走するより、どんな風に走りを演出し、それを楽しむか、刻一刻と
変化する自然に対して、どういう対処の仕方をしていくか、これなどは1日中集中してやるには、結構
しんどいので、その中の1,2時間でも、そういう自分なりの走らせ方を考えてみてはどうだろうか。そう
やって神経を集中させてセーリングをすると、全神経が敏感になり、そうやってしょっちゅうのっていると、
ヨットの反応が良く解るようになる。これを一人でやるとなると、そう長くは続かない。それで、短時間でも
集中したセーリングは充実感が大きくなる。感じるものも大きくなる。感じた事から、今度は知性を働かせ
て、次の対応をする。この繰り返しで、する事と、それに対する結果を感じ、またする。その繰り返しでは
あるが、充実感は大きいと思う。だから、デイセーリングは短時間でも良いのです。

日常で頭使って、遊びに頭使うのは疲れるという方もおられるかもしれません。でも、こういう頭の使い方
は日常のそれとは全く違う。あくまでゲーム、リアルなゲーム、楽しいゲームなのです。GPSやその他の
便利グッズは多いに使います。しかし、知的ゲームはヨットの醍醐味のひとつでもあると思うのです。
だから、デイセーリングは面白いのです。ロングとは別の面白さがあると思うのです。

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