第五十一話 やっぱりヨットは乗るもんだ

先日、ヨットのキャビンでちょっとくつろぐ事があった。確かにこういうものも
良いもんです。たまには。一杯飲む、話に花が咲く、良いなと思います。
でも、やっぱり、ヨットは乗るもんです。

セーリングしないで、くつろぐだけなら、気分はちょっと違うような気がする。
結局はヨットのキャビンである必要が無くなってくる。ヨットでセーリングして
いるからこそ、たまのくつろぎにメリハリはついて、楽しくなる。そしてこういう
寛ぎの時、ご馳走も不要です。そんな物は無くても、セーリングというご馳走
をいつも食べているから、無くても楽しいのです。

ある人、セーリングしないで、時々ヨットにきてはビール飲んだり、キャンビン
で過ごしておられた。でも、結局は来られなくなった。ヨットは飲んでるだけじゃ
面白味が無くなって、そのうち飽きてくる。前に経験あるが、普段乗ってると、
コーヒー一杯で楽しく過ごせる事が解った。あの時はこうだった、今度はこう
したらどうか、こんな物を使ったらどうだ、少人数でスピンジャイブはこうしたら
どうか、ああでもない、こうでも無い、話題には事欠かないのです。そして内容
がセーリングに対する積極的な姿勢があるので、どんどん続く。その感覚を
互いに分かち合う事ができる。たまに乗って、爽やかさ感覚だけしか持ち合わ
せが無いなら、それ以上は行けない。でも、真剣にセーリングをすると、いろん
な解らない事が解る。それで話が弾み、考えた事を今度実行しようとなる。
実際、そうやってきた。そうすると、少しづつ色んな事が解ってくる。解ってくる
と面白くなく。面白くなるともっと知りたくなる。近場のセーリングだけでもそう
なのです。自分がどのレベルかが問題では無く、前に進んでいるかどうかが、
ヨットを面白くする要因ではないかと思います。

だから、キャビン重視では無く、セーリング重視と言います。

セーリングをしてくると余韻が残る。その余韻で一杯のめる。おいしく飲める。
セーリングが面白いものならなおさらです。面白いという感覚は、爽やかとは
違う。自分でコントロールしたという感覚は面白いものです。その反応の感覚
は面白いものです。そんな感覚があれば、寛ぐ時、政治の話はしない、子供
の話もしない、まして仕事の話も出ない。しないのでは無く出ない。それほど
面白いからです。だから、遊びになるし、肉体的には少し疲れるかもしれないが
精神的にはかなり寛いでいる。肉体は休めばすむが、精神は休んだだけでは
済まない。遊びは精神を寛がせる事にある。それは必ずしも肉体を休めるのが
目的では無い。そして心身の健康は精神から入る。セーリングを真剣に遊ぶ
のは、真剣といっても生真面目にという意味では無く、面白がって積極的に遊ぶ
のは精神の健康には最高です。

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