第七十話 良い気分
船を買う、家を買う、高級車を買う、飲み屋に通う、女を囲う、高級なスーツで 飾る、別荘を買う、趣味に興じる、コレクションに興ずる、骨董品に凝る、ある 物を極める。全ての行き着く先は、それによって良い気分を味わう為です。 高級車を買っただけでも良い気分、それを乗り回して、隣にきれいな女性で もいればもっと良い気分、つまり、これら物は全て良い気分を味わう為の手段 という事です。求めているのは、それらを眺めて、使って、その経験から得ら れるであろう、良い気分なのです。 良い悪いは相対的なので、決め付けるわけにはいきませんが、変化のあまり ない状態での良い気分というのは、例えばご馳走を食べるとか、温泉に行く とか、そういう事はたまにで充分となります。たまにですから、そのものにあまり 変化が無くても、日常生活というレベルでは充分な変化となり、それが良い気分 にさせてくれる。という事は変化のあまりない状態というのは、日常生活と比べて 変化がある程度なら、ほんのたまに味わうという時間的変化において楽しいもの となる。よって、キャビン重視のヨットはあまり変化が無いので、たまにしか使え ない。毎日行ったのでは変化は変化では無くなるからです。 という事は行為そのもの自体が変化しないことには、しょっちゅう乗るなんてでき 無い事になります。毎日行って、毎日変化があるなら、少なくとも時々変化がある なら、しょっちゅう乗れる事になる。宴会だって、毎日やってもその度に来るお姉 さんが違えば、しょっちゅうできる。でも、毎日同じならそうはいかんのです。 キャビンライフにそう変化があるとは思えない。自宅というのは食事で言えばご飯 のような物で主食として毎日でも飽きる事は無い。でも、おかずもほしい。おかず は毎日変化します。毎日同じおかずでは飽きてしまう。 ヨットのキャビンは言うならば、ご飯のような物で、家でご飯食べて、ヨットでまた 似たようなご飯を食べるのは場所が違うだけでそう大きな変化は無いのです。 ですから飽きてしまいます。たまにしか乗れない。 良い気分を積極的に自分で演出する事が必要です。それを気軽に、手近でやる としたら、セーリングしか無いじゃないですか。でも、そのセーリングも漫然とやって いたのでは変化があっても変化を感じ取れない。それで、セーリングを意識してやる と、その微妙な変化さえも感じ取れるようになる。大きな変化はもちろん、小さな変化 さえ気づくので、乗るたびに変化が感じ取られ、その変化が良い気分を引き出す事 になります。時にはしんどい思いをしたり、でもそれも変化のひとつで、これがあるから こそ次の変化は増幅されていきます。 つまり、セーリングに意識をおきさえすれば、誰でもその変化を感じ取れますので、 その変化から感じられる気分は波のように上がったり下がったします。でも、マクロ 的に見ると、それは全体で進化という、上達という上昇カーブを描いている。ミクロ的 にみるとそういう事はすぐには解らないものの、ある一定期間乗り続けると解ります。 セーリングに意識を置くというのは、どうやって滑らかなセーリングをするかという事を 意識する事で、その為にどんな工夫をしていくかと考える事でしょう。より良いセーリング という事になる。どんなに高級艇だろうが、性能の良いヨットだろうが、自分で演出をしな ければなんら良い気分をもたらしてはくれません。つまり求める人にだけ与えられると いう事になります。 レースじゃないからとのんびり漫然とセーリングをする。セーリングしないよりましです。 たまたま全てがぴったり合って、最高の走りを味わえるかもしれません。そしてその時 の気分が良くてこれをきっかけに目覚めるかもしれない。でも、それはめったにある事 ではない。それで積極的に求めて、工夫していけば、より早くぴったり合うという幸運に 恵まれる事になる。ヨットに乗らない人は自分で退屈さを演出しています。どうせ演出す るなら面白い方向に演出して、積極的に良い気分を味わおうとした方が良いのではない でしょうか。 |