第七十六話 何がそうさせる

先日ですが、この時期は海上保安庁が海岸線をパトロールするという話を聞きました。
その理由は、この時期は魚が良く釣れるそうで、釣り人が危険を冒してでも、魚を釣ろう
とする為、断崖絶壁のどうやってたどりついたか解らないような場所へ行ったり、小さな
島に渡って、釣りしたり、危険であればあるほど魚が釣れそうに見えるのでしょう、それ
で波にさらわれたりする事故が非常に多いそうです。

人が行けない所、そんな所程魅力がある。何が釣り人をそこまでさせるのか、釣りの魅
力に他ならない。それ程釣りというのは面白いものなのでしょう。子供でも、目も前の防波
堤で釣りを体験できる。大物は連れないかもしれないが、魚がかかったあの感触は体験
できます。それがもっと、もっととなるのでしょう。厳密に言えば魚がほしいわけでは無い。
魚なら魚屋に行って買った方が安くつく。ほしいのはあの感覚なのでしょう。それが釣り人
を命知らずにまで駆り立てていきます。

一方、ヨットはどうだろうか。子供が目の前の海で気軽にセーリングを味わえるかというと
そうでは無い。では、大人になって、ヨットに乗ってセーリングしたからと言って、あの釣り
竿にくる感触のような、興奮があるかと言えば、これはどうだろうか。実は、同じような感覚
はある。しかしながら違う点がひとつ。釣りは浮きを見つめ集中していたり、竿を持つ手に
全神経が集中している。自然とそうなるのです。そこに当たりがピクッと来る。これがたま
らない。しかし、ヨットではそれ程集中していないのではないでしょうか。もし、全神経を釣り
の竿先と同じように集中していれば、ほんのわずかな動きなども敏感に感じられる。漫然
とセーリングしていても、偶然に全ての条件が揃わなければしびれるようなセーリングは
できないかもしれない。釣りだって釣れる時もあれば釣れない時もある。ヨットでも、良い
セーリングができる時もあればそうでは無い時もある。最も大きな違いは釣り人は今日こそ
釣るぞ、と思ってでかける。ヨットも今日は良いセーリングするぞと思って出かけるかどうか
ではないかと思うのです。

良いセーリングをしようと思って出かけるなら、それを達成する為にいろんな工夫をする。
釣り人が今日の日の為に研究し、仕掛けを工夫するように。それでも釣れるかどうかは
解らないが確立は上がる。ヨットも良いセーリングをしようと思って、出かければ確立は上が
る。そして実際に全てが合う時、実に気持ちの良いセーリングができる。

この仕掛けで、あのポイントに投げて、こう流して、ここでヒット、そう考えて実際にそうなったら
なるほどこれは良い釣りでしょう。ヨットでも、こういうトリミングをして、こうやったら、この風で
タックはこうやって、そういう事でうまくいった時、そして素晴らしい走りをした時は良いセーリン
グでしょう。これが実に気持ちが良いのです。

良いセーリングをするのは、良いセーリングをしようと思う気持ちが大切だと思います。より良く
走らせてやろうとする気持ちがあれば、必ず、しびれるような時が来ると思います。それを1回
でも味わえば、後は釣りと同じです。あのしびれるような感覚をもう一度味わいたい、もっと良い
セーリングをしたいと思うでしょう。そうなると、ヨットは距離では無いし、遠くへ行く事でも無い。
セーリングするだけで良い。その良いセーリングをより多く達成する為に、勉強もするようになる
し、メインテナンスもするようになる。何でも知りたくなります。それがまた相乗効果を生んで、
良いセーリングができる。それが整備はしない。よれよれのセールで、船底は汚れ、そんなので
は到底良いセーリングはできません。そういう努力を釣り人は惜しみなく、楽しんでやる。

騙されたと思って、ある一定期間、ひたすらセーリングを自分のできる範囲で集中してやって見て
ほしいと思います。ただ酒ばかり飲んで、のんびりゆらゆら走るというだけでは無く、よりスムース
により速く、そういう工夫をしながら走らせてほしいと思います。そうすると、必ずピッタリ来る時が
必ず来る。それがヨットの最大の魅力、誰でも、その気になりさえすれば味わえる魅力ではないか
と思うのです。例え、ヨットが大きかろうが、小さかろうが、わずかな時間であっても、自分がその気
なら味わえる。

ヨットが釣りと違うのは、釣りは釣るという目的以外にはありません。それが全てです。でも、ヨット
はセーリング以外にも惑わされる魅力がある。ゲストを乗せる。宴会をする。ヨットでデート、家族
団欒、酒飲んでおしゃべりを楽しむ。セーリング以外でもセーリングに集中しなくても、簡単に快楽
を得られる。でも、その快楽は、しびれる程強烈な物ではありません。でも、楽しい。これが人をセー
リングを堪能させる手前でブレーキをかけてしまうのではないかと思うのです。たまには、そういう
事はちょっと脇において、セーリングに集中される事をお奨めします。それにはシングルハンドが最も
適している。或いは価値観を分け合えるクルーがいなければなりません。

ロングクルージングも良い、宴会も良い、ですが全ての方々に、時にはセーリングに集中して、この
セーリングの最大の魅力を体験していただきたいと思います。実際、やってみると、そんなに難しい
ものでもありません。要は気持ちがセーリングに向かっているかどうかだけです。

いかがでしょうか、マニアックでしょうか?でも、昔はみんなそうだったのではないかと思います。それが
便利な物が導入され、温水や冷蔵庫、しゃれたキャビンが入ってくるとだんだんセーリングから離れ、
そういうセーリング以外にも使える楽しみが増えた。それは良い事で、使える楽しみが増えたし、もっと
簡単にセーリングが楽しめるようになった事は良い事なのです。しかし、反面、その為にセーリング自体
がないがしろにされてきたのではないかと思うのです。もっと簡単でできるようになったから、もっと多く
の人達がヨットの魅力にとりつかれてしかるべきと思うのですが、逆に惑わしてしまった。それで、もう一度
そういう感覚を取り戻して、シングルで乗る時はセーリングに集中して、彼女を乗せて走る時はそこそこに
というめりはりをつけてヨットを運用してはいかがでしょうか。シングルハンドをお奨めする最大の理由は
これです。

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