第十三話 未完成

物事はいつも未完成が良いように思います。未完成である限り、いつも進化、発展させ
ようと思いますから、そのプロセスが結局は面白いという事になるのでは、と思います。
一旦完成してしまいますと、それで終わりです。

ヨットを購入しようと検討している時が未完成で、購入してしまうと、検討している時の方
が楽しかったという話を聞きます。これは手に入れたという事を完成にもっていくと、後
が大変、エキサイティングでは無くなってしまう。手に入れて、乗り回して、良い所もあれ
ば不満も出る。不満な部分に工夫をしたりしながら乗る。そういう未完成部分が、本当
は飽きさせないのかもしれません。未完成を工夫していくというのは、考えてみれば一種
のアドベンチャーと捉えても良いでしょう。自分の工夫、やり方で未完成部分を補い、より
完成に近づける行為はアドベンチャー、ヨットそのものの未完成もあれば、セーリングの
未完成もある。

完成された物は飽きてきます。昔々ですが、あの有名なモナリザの絵、見る人が見れば
ここはもっとこうできるとかがあるそうです。これは未完成を見ているわけで、ですから、
見る人を飽きさせない。いつまで見ても、ああでもない、こうでも無いが出てくる。そこが
名画たる所以かもしれません。頂点を極めたら、もうする事が無くなる。未完成が良いし
”名”と着くものは、完成のちょっと手前にあるのかもしれません。これも、昔々、超リアリ
ズムの絵画がありました。細部にいたるまで完璧に本物そっくりです。でも、飽きられて
しまった。これに比べると印象派の絵画は雑に見える。でも、それが良い。

セーリング自体を考えると完成はありえないですから、ここに視点を置くと一生飽きる事
はありません。ヨット自体も、もう少しこうが良いとかある。そして、セーリングしていても、
もう少しああが良いというのがあるでしょう。でも、それがあるからこそチャレンジが残り、
その未完成部分を自分が補う行為、それが面白く、長く続けられる秘訣ではないかと思い
ます。ヨットの未完成を自分の工夫で少しでも補えた時、面白くてたまらなくなる。

未完成を見るには、それなりの努力も必要になります。セーリングをただ漫然と過ごして
いるなら、未完成を見る事も無い。無いので、それなりには楽しかったとなるかもしれませ
んが、夢中になる程では無い。やっぱり、セーリングをより良くしようと思うと、未完成が見え
てくる。自分の腕のなさも見えてくる。それが面白くなる秘訣ではないでしょうか。ですから、
ヨットを楽しむにはセーリングに専心するのが一番だという事になる。

理想は限りなく完成に近い未完成という事になりますね。でも、人間のする事に完成は無い
わけで、それならどんなに追求しても未完成、その気になれば飽きる事は無いはずなんです。
いつも、小さな冒険をする。ヨットはいつ、どこを走っても冒険の宝庫です。

今日テレビで、ある人が鉄道模型を作っていた。見れば、誰が見ても完成している。大きな部
屋に何本ものレールが敷かれ、すごいもんです。でも、この人にとっては、まだまだ未完成だ
そうです。もっとこうしたいというのがある。それが夢であり、楽しみであり、喜びであり、そして
いつも完成させたいと思っている。でも、やればまた未完成を発見する。傍目では解らないが
専心した人はそうなる。これまたテレビですが、野球のイチローが出ていました。あれだけの
報酬と賞賛を得たのに、もっとチャンレンジをしようという姿勢がある。だから、続くんでしょうね。
すごいです。彼はプロですからそれで報酬を得ますが、我々は報酬はありません。でも、イチロー
だって、チャレンジするのが報酬と賞賛だけなら続かないでしょう。そうする事によって、自分しか
解らない完成へのチャレンジから得る快感があるはずです。我々も、その快感を求めて、小さな
冒険を繰り返す。資本主義社会で殆どはお金で買えますが、この快感はお金では買えません。
いつも未完成を見る人に与えられるご褒美ですね。

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