第三十四話 暴言 その2

もはや普通のヨットじゃ物足りない。快速であるか、世界一周できる外洋性か、とてつもなく美しいか、シングルで自由自在に操れるか、そんな特徴がほしい。何でもできるヨットは実は何でもない。
実際何でもできるヨットはありえない。一見、穏やかな、そこそこのヨット、こんなものは面白くない。何故なら、惚れこむ一点が無いからです。どこも、そこそこ、60点。か70点。可も無く。不可も無く
というのは、失敗が無いように見えて、面白く無いのです。嫁さんにするなら無難かもしれないが、ヨットは彼女、飛び切り美しいとか、スタイルが良いとか、じゃじゃ馬とか、特徴のある方が面白いのです。もちろん、不満も出るでしょう。でも、この一点については最高だ。これが遊びの醍醐味です。そこそこのヨットは、面白さもそこそこなのです。

通常の暮らし、と遊びとでは、次元が異なる。同じ次元なら面白く無い。次元が違うから面白い。なのに普通を選ぶ。大金はたくので失敗は許されない。もったいない。それで、普通、無難を求める
でも、それが失敗の元なのです。

小さいけれど、自分と一体になって、自由自在に手足の如く操れるとしたら、それは最高のヨット、
この美しいデザイン、ニスを20回ぐら塗装してあめ色光るチーク、見ているだけでうっとりするような、いつもピカピカにしたくなるようなヨットだとしたら、それは最高のヨット。レーティングなどお構いなし、とにかくスピードが命、乗り心地など2の次、レースしたらいつもファーストホーム、これが最高のヨット、遊びには、最高の1点、何かがほしい。例え、他を犠牲にしてでも、自分の求める最高の1点がほしい。そこに惚れこむ。それが夢中にさせてくれる。その夢中を求めるのが遊びに他ならない。無難な遊び?そんなもの聞いた事が無い。遊びは一種の危なっかしさが匂う。それがあってこその遊びなのです。

ヨットを住居にしたら、遊びはエキサイティングでは無い。安定しきったものを求めて遊ぶ人は居ないのです。何か、日常と違うものを求めて遊ぶ。日常と違うものとは、危険な香りがするものです。何も本当に危ないものという意味ではありません。素晴らしいデザインのヨットを見た時に、興奮するものがある。それにほれ込んでしまうと、それが持つマイナス面など気にもならなくなる。毎日毎日それと付き合うのなら、それで仕事をするなら、選択は違ってくるでしょう。でも、ヨットは100%純粋な遊びですから、おおいなる遊び心を、これでもかと充足せしめる事こそが、遊びの価値。

ヨットを選択する時、あれもこれも考え、比較し、より良い買い物をしようと思います。でも、頭で考えて、理詰めで選べば選ぶほど、遊びに関しては失敗します。キャビンの大きなヨットを強調するヨットは、それを有効に使える人にとっては、理屈では無く、感性でそれを選ぶ。そういう遊びに心が同調しているからです。そうで無い人は理屈で選ぶ。理屈で選んだ人は、心が同調していませんから、そのヨットでは遊びきれない。

正しいヨット選びは、ここぞという強烈な1点に惚れこむ事ができるヨットを選ぶ事、それは各自何でも良い。これぞという1点を感性で見つけてほしいと思います。感性が同調する1点に、自然に惹かれる事になります。それが今の自分にピッタリなヨットです。美しさに惚れた人は、眺めながらうっとりし、いつも磨いてばかりかもしれない。しかし、彼は幸福なはずです。10人も乗ったら居る場所が無いかもしれないが、一人で乗って、一体感を感じられ、遠くには行けないが、自由自在に操船できる。彼も幸福に違いない。レーティングが高くて、とても修正したら勝てない。でも、いつもダントツのトップでファーストホームを飾る人も幸福です。あらゆる波を乗り越えて、外洋を走る冒険家、彼らも幸福です。みんな、ここぞを持っているから幸福です。これがみんなそこそこなら、遊びがそこそこになって、遊びきったという感じがしない。

何度も言いますが、ヨットは役立たずです。それを何かの役に立たせようと思う事が間違いです。どうせ役立たずなら、徹底的に自分の感性に同調させて、その1点を強烈に遊ぶ。こうやって遊ぶと、役立たずが実にエネルギーをチャージする、蘇らせてくれる役目をしてくれる。遊びは生きるエネルギーのチャージという大変な役目をしてくれる。

日本は和をもって尊しとなす国民です。個性よりも集団を大切にする国民です。外人は違いますね、人は違って当たり前、個を大事にする。これは単なる国民性の違いですから、良いも悪いも無い。でも、遊びに関しては外人は上手です。何故か?遊びは極めてプライベートな個の部分だからです。和という事も大事な日本人の要素です。しかし、遊びに関しては、個性を発揮した者が最も楽しめる。何故なら、個性は自分の内から外に出すエネルギーです。でも、和は外から内に取り込むエネルギーです。遊びは内から外へ、自分自身をありのまま表現するエネルギーです。そこには遠慮も気遣いも無い。だから気が楽になる。

次へ     目次へ