第三十五話 心理的距離

海は冒険の要素が一杯です。という事は海は自分自身から離れた所にある。心理的な距離です。
物理的に遠い近いの事ではありません。海は自分から遠いところにある。遠ければ遠い程、冒険性は高いのかもしれません。

そこにヨットに対する心理的距離も遠ければ、なかなかヨットに乗れるものでは無いでしょう。海もヨットも遠ければ、その冒険性はもっと高くなります。場合によっては恐れおののく事になってしまいかねません。海と自分の距離はこれまで育った環境もあるだろうし、性格もあるでしょう。これをどうにかするには、海に慣れるしかない。距離を縮めていくには、数多く海に親しむしかない。それでも海が冒険性を失う事は無い。

そこで、ヨットの方を自分に近づけて、自分の味方にしておく必要があります。そうでないと、海とヨットの両方を相手にしなければならなくいなります。それでは、近場でも気軽におは乗れなくなります。まして、シングルハンドになると、尚更、一人で立ち向かう事になる。ヨットに気軽に乗れないのは、ヨットが自分の味方にはなっていないからでしょう。

ヨットを味方につける事が先決、ヨットとの心理的距離をできるだけ縮めて、相対するは海、シングルでも、自分とヨット対海、という構図にしておく。別に対決するわけではありませんが、海という冒険をするのは味方は多い方が良いし、味方が強力なら安心感も増す。海の冒険をヨットという道具を使って行う。

ヨットを味方につけるにはそのヨットを良く知る事が大切です。高等テクニックやすごい知識が必要
では無いとは言いませんが、まずは基本的にヨットを知り、親しくなって、友達になって、味方にしておく、相棒のようなものです。そうしておかなければ、海とヨットの両方を同時に相手にするにはしんどい事になる。ヨットがこちら側に来れば、ぐっと楽になる。

ヨットを知って、自分のコントロール下に置く。サイズも、艤装も、コントロールできるものでなければならないし、見栄や予算の限りでかいというのも、心理的距離を遠くする原因になる。ヨットの経験が無い人でも、海に対する距離が近い人は、ヨットを何とかしてしまう。つまり、自分自身とヨットと海の関係、それぞれの心理的距離をできるだけ短くする事によって、乗りこなす事ができるかどうかが決まってくるのではないかと思います。

本なんかを読みますと、技術や知識が豊富に載っています。それらは大切な事ばかりだと思います。それらを軽んじるわけにはいきませんが、その前に海とヨットとの心理的距離の方が大切ではないかと思うわけです。ヨットさえ味方なら、とりあえず、軽風の近場からスタートすれば、後は回数乗る事によって、海との心理的距離は近づく。それをどんどん増やせば、自由自在にもなれる。
そういうプロセスが面白いわけですが、まずはヨットを見方につけて、信頼する事が全ての始まりではないかと思います。それには、ヨットに乗る事が大切ですが、例え乗らなくても、ヨットに近づき
あっちこっちさわりまくり、メインテナンスも含めて、親しむ事ではないか。的確な表現は難しいですが、ヨットと友達になることです。彼女でも良い。味方につける事ではないでしょうか。

日本は海に囲まれていますので、もっと海との距離が近くても良いはずなのですが、昔から、海水浴程度のレジャーしかなかったからか、海という前に、遊びそのものへの距離が遠いせいか、海は岸から眺めるもの、海に繰り出すのは冒険。そんな距離を感じます。テレビのニュースでも、水難事故など、そんなニュースの方がはるかに多い。日本はどうも、何にしても、危険性ばかりが強調される。安全をキープする為なのでしょうが、それもあって、心理的距離は遠のいてしまう。

ヨットも海も安全を確保しながら、その良さをいかに楽しむか。その面白さは海にあり、すぐ目の前にある。心理的距離を縮める分だけ楽しめるようになる。それが遠いと、今度はクルーという味方を多くしないと出れなくなります。味方は多い方が良い。でも、ヨットという味方がもっとも心強いと思います。

次へ      目次へ