第四十二話 クラシック

音楽の世界では、いろんな音楽がありますが、現代の音楽が流行りという事で、目まぐるしく変化していくのに対し、クラシックという音楽ジャンルはいつの時代も変わらない美しさを感じさせます。
ジャズでもそうです。現代のジャズ、でも、1950年代や60年代のジャズプレーヤーは今でもジャズジャイアンツとして愛好され、尊敬され、現代に影響を与えています。

ヨットを見ますと、これも同じで、クラシックなデザインというのは、現代のデザインが変化していくのに対し、いつもそこに昔の様相を呈し、美しさを感じさせてくれます。現代のデザインも100年ぐらい経つとクラシックと称して、みんなに愛されるのでしょうか?

音楽であれ、ヨットであれ、クラシックというのは、世界共通の人間の感性に同じような美しさを感じさせる物があるのかもしれません。でも、これはクラシックが良くて、モダンが悪いというのでは無い事は当然です。モダンは変化し、クラシックは良い物だけが残った。そういう事かもしれません。
つまり、モダンでも良い物は残るという事になります。そしてやがてはクラシックになる。

物を良い悪いで決め付けるのは良くないですが、人間の感性に共通の何かがある。そこに触れるものは、残っていく。それは結果的に良い物でしょう。残っているクラシックは良い物であり、これから残るであろうモダンも良い物でしょう。どのモダンが残るのか、これが見極められれば、良いのですが。

現代のヨットは、時代の要請からきた物ではありますが、あまり美しいとは思えない。長さに対する
ボリュームの大きさは異常な程でかすぎると感じます。どの程度が良いかはわかりませんが、人間共通の感性に訴える、何かの美しさが、どこかにあると思います。黄金比というのがありますが、これも人間の感じる美しさに共通らしい、音楽なら1/fのゆらぎといものもあるらしい。それは自然界にもあるらしく、木が育つ枝の生え方は太陽光を無駄なく取り入れる為に育つ、それは枝が生え伸びていく角度を黄金比で見ると同じだそうです。巻貝の渦も同じ黄金比でできてる。つまり、人間も自然にそういう物を美しいと思うDNAの働きかもしれません。

それはさておき、ヨットは機能、性能、も重要ですが、最も必要な事は美しいという事ではないかと思います。そして、美しいというのは、機能的にも最もバランスがとれているという事になるかもしれません。ですから、自分が美しいと感じるヨットを選ぶというのは、機能を数値などで検討するより大事かもしれませんね。

現代は理屈優先の世界、感性のようなあいまいな物は正解が無い。正解が無いのは解りにくいですが、遊びもそれを感じる心も感性にあるのですから、困ったもんです。でも、理屈じゃないから面白いし、いろんなヨットが出てくる。理屈だけなら、何とこの世界は退屈なものでしょうか。

私はヨットをご案内して、すぐにどうですか?と聞く事があります。人によって今見たばかりで解らないと言われる方も多いのですが、ぱっと見た瞬間の感じ、第一印象ですが、これはとっても大事なのではないかと思います。どんどん見ていくと理屈がどんどん湧き出てくる。感性を大事にするには、感じる事に集中して、考えない事です。人間は感じるか、考えるかのどちらかでしょうから、考えると、いろんな理屈、他人の理屈がついてくる。

音楽を聴くのは感性です。ヨットに乗ると感性が高まる。人にとって、感性は理屈以上に大切なエネルギーではないかと思うのですが。でも、理解したと思うのは、言葉に置き換えないと解った気になれないという不安定さがあります。それは対象をどう見るかではないかと思うのです。ヨットという物を何かの役に立たせよう、無駄にはしたくないという思いがあるからではないか。その点女性を選ぶ時は感性が良く働く。ヨットを女性と思って、感性で選んでみるとどんな選択をするでしょうか。

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