第3話 乗り手の原点を考える
誰でも最初はセーリングがうまくなりたいと思い、練習を重ねます。ヨットに乗れる事だけで ありがたかったわけです。その頃はヨットは良く動くものでありました。しかしながら、最近 では他の遊び物が多くなったせいでしょうか、クルーも集まらないし、練習もとりあえず乗れ るようになれれば良いという程度で終わってしまうようです。何もプロを目指す必要など毛頭 無いのですが、初心を忘れずに、常にうまくなりたいという気持ちは忘れないで頂きたいと 思います。それは練習というイメージを払拭し、楽しく乗る回数を増やす事です。それで自然 にうまくなります。 乗り手の原点はうまくなりたいと思う事だと思うのですが、それより先に楽しさをイメージする ようになってきたと思います。これはこれで良い事なのですが、ただ、楽しいだけでは続かな いと思うのです。楽しいの中にはセーリングの楽しさもあるでしょうが、どちらかと言うと船旅 での移動、キャビンでの寛ぎ、そちらの方に重点が置かれているような気がします。 世の中いろいろ便利な物が増え、しかも多機能化しています。本来の機能に加えて、あれも できるこれもできる。こういう商品が増えてきました。それは結構なのですが、本来の機能を あまり使わず、付加された機能の方が優先していく場合も少なくありません。でも、そうなると ゆくゆくはその商品は消える運命にあると思います。付加された物はあくまで本来の機能に プラスされた物であり、本来の機能があまり重要視されなくなった時、付加された物に主役の 座をあけ渡さなければなりません。 ヨットはセーリングが本来の機能であり、キャビンやその他は付加された物です。キャビンが 主役になれば、ヨットである必要性は薄れてきます。これはヨットに責任は無いのです。乗り手 側の問題です。ヨットを充分に生かしてやる事が乗り手の責任だと思うのです。そういう態度で 接する事によって、ヨットは本来の力を与えてくれます。これこそが、ヨットでなければできない 味わえない経験をもたらすのではないでしょうか。何も、セーリングだけにこだわる必要は無い のですが、セーリングこそが主役である事を忘れてはならないと思います。 |