第八十八話 ヨットと楽器

ヨットは楽器と良く似ている処があると思います。楽器を演奏できるようになるには、練習が必要になり、ある程度の練習をすれば、簡単な曲が弾けるようになります。でも、その先は、もっともっと高度なレベルまであって、きりが無い。でも、例えば、ギターとか、いくつかのコードを覚えで、歌の伴奏なんかができて楽しむ事はできます。

ヨットだって、最初は練習が必要で、簡単な操作を覚えれば、セーリングを楽しむ事ができます。この先、どこまで進むかはオーナー次第です。そこの簡単なレベルでも楽しむ事はできるわけですから、簡単な曲を弾けるのと同じだろうと思います。

しかし、人は、やがては、その簡単なレベルでは飽きてきます。従って、ギターだったら歌の伴奏で演奏できるというより、みんなで歌うとか、そういうちょっと違う方向での楽しみが出てきて、何も、そんなにギターの技術を高度にする必要も無いかもしれません。ヨットだって、ピクニックセーリングで、誰かを誘って楽しむ事ができます。

つまり、楽器やヨットのレベルをそんなに上げる事無く、それを使って、他の楽しみ方ができる事になります。それは、それでも良いのかもしれません。ただ、せっかくなら、楽器だって、ヨットだって、上手くなるように練習を重ねて、レベルを上げた方が、もっと面白さは増していくのではなかろうか? そう思って、練習を続けていくと、すぐに差がついていきます。いつも、試行錯誤の練習をしていきながら、知らぬ間に上手くなっている。それに気がつく日がやってくる。

それに気がついたら、もっと面白さに気がつきます。だから、もっと練習しようと思います。だから、もっと上手くなります。

想像してみてください。自分がある楽器を自由自在に、高度な曲でも、なめらかに演奏できる姿を。同じように、セーリングにおいて、自分が、微風から強風まで、自由自在に滑らかに操作して走らせている姿を。楽しいとかいうよりも、それを超えて、面白さや満足感や、いろんな感情がわいてきます。ある事を習得するのは簡単ではありませんが、やればやっただけの満足感なり、面白さが感じられる。それが、面白さなのではないかと思います。10年やるとか、20年とか、長期に及ぶというのはそういうものではないでしょうか?

楽器もヨットも、楽しみ方はそれぞれです。みんなが高度に迄上手くなろうとは思いません。それはそれでも構わないのですが、でも、もし、今のレベルで不満足なら、ちょっとレベルを上げていく方向に意識をシフトしてみては如何でしょうか? すると必ず難しさが解り、それでも続けたら、面白さがわいてくるのではないかと思います。そこまで行きますと、もうこっちのもんです。

生涯続く事になるでしょうが、決して困難ばかりでは無いし、レベルの高い満足感とか、充実感とか、達成感とか、優越感も出てくるかもしれませんね。何事も、一般的なレベル以上に何かを感じたかったら、それに見合う何かをしなければなりません。それも、ちょっとしただけでは解りません。
根気も必要かもしれません。でも、それに見合う事が必ず起きる。どうせなら、ゆっくりでも良いから、急ぐ事も無く、マイペースでセーリングの探求というテーマを持ち続けては如何でしょうか? 
生涯のライフワークとして。そして、いつか、必ず引退すべき時が来ます。その時の気持ちたるやどうなんでしょう? 少なくとも、後悔は無いと思います。むしろ、満足感の方が強いのではないでしょうか?

ヨットと楽器、習得すべき事があり、習得すればする程レベルが上がり、レベルが上がれば、そのレベルでのフィーリングがあります。楽器にしても、ヨットにしても、長期間をいかに楽しんで、続けていく事が重要になると思います。要は、楽器にしても、ヨットにしても、単なる遊びにしておく事もできれば、習得レベルを高めて、遊びを超えていく事もできます。本当は、これらに限らず、あらゆるものが、絵画や陶芸や写真や、学びを必要とするものは全て同じだと思います。どんな楽しみや面白さを得たいのか? そこに尽きると思います。その結果、到達できるレベルがいかなるレベルであるかは、あまり重要では無いかもしれない。プロになるわけでは無いから。それより、挑戦し、継続し、そのプロセスたるや、そこに面白さがあるかと思います。

ヨットをいかなる扱いにしようとも自由ですが、でも、長期間に及ぶ行為である事を考慮しなければならないと思います。あるマリーナの方の弁ですが、稼働率を平均で見ると、年間に4〜5回ぐらいかな〜という話でした。それを10年続けるわけです。年間4〜5回なら楽しい時だけかもしれない。でも、面白さはあるのかな? という気がします。そこまでは求めないのかな?レジャーか趣味かの分かれ目かな?

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