第五十四話 ヨット感覚を獲得する


      

ヨット遊びの目的は、ただ走った、どこかへ行った等々は表面上の目的で、本当の目的は、そのヨット感覚を獲得して、その味わいを生活の一部とする事ではないかと思います。どんなヨット感覚を得たいかによって、セーリングだったり、クルージングだったりするんだろうと思います。

我々は行為を重視し、その行為からくる結果を重視しますが、重要な事は、その時々にどんな味わいを得て、それが生活の一部を成していくにおいて、人生がどんな彩を持ってくるか? そういう事ではないかと思います。

以前、セーリングだけでは無く、旅だけでは無く、いろんな事を取り交ぜてと申しました。緊張と緩和のマネージメントも申しました。しかし、いろんな価値観があるわけですから、例えば、のんびり、ゆったりセーリングをするのが好きな方は、それを飽きるまで続けて良いし、飽きなければ一生やっても良いのではと考え方が変わりました。緊張100でも良いし、緩和100でも、半分づつでも、飽きるまで、好きにしていけば良いんじゃなかろうか? それで、物足りなさを感じた時に、別の事をしても良いんじゃなかろうか?

昔々、それも大昔、ルールなんて無い時代、何をしても良かったわけですが、人が集まって、ルールができ、大勢になっていくに従ってルールが細かくでき、同時に、価値観も影響を受け続けて現代に至っていると思います。そう考えると、本来は各人の性分に従って自由で居る事が重要なのかもしれません。とは言っても、現代のルールを逸脱するような事はできませんが、遊びとは、その本来の自分の性分が持つ自由の価値観を味わう事、それは遊びだからこそできる事ではないかと思います。

誰よりも速く走れる事や、より多くの、また遠くの場所に旅をする事や、そういう事に価値を見出しても良いし、別の処に価値を見出して良いのではないでしょうか。自分で判断すれば良い事で、自分がしなければならないわけでも無く、好きにやって、楽しくて、面白くてなら、毎日、のんびりやっても、或いは、緊張感たっぷりのセーリングでも、どっちでも良いのかもしれません。

どんな感覚であろうと、ヨットを使って、何かをして、そのヨット感覚を取り入れる。セーリング感、クルージング感、ピクニック感、泊りの感、のんびり感、緊張感、困った感、面白い感、全てヨットを通じて味わう自分だけの感覚です。それが自分の人生をより良く彩る様にしたいものです。


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